*母恋コミュニティーに”巨大ダム”を築く・・・「\凹/」・・ん??

 と言う話はアル訳ないが、もしも将来「母恋コミュニティー」の再開発が望まれるとしたら、僕は車ではなく街の中心に人間を主役に据える街作りするべきではと思った。谷の中に佇むように在る母恋の町だから「谷間の白百合」と形容されるような美しい街に生まれ変われたらと思うのだが、そんな谷になっている地形を利用して、巨大ダムを作るように街を築く。母恋駅前の北町入り口付近一帯に東側に在る安龍寺付近から西側にある日鋼記念病院の付近辺りまでを繋ぐ建物を築けたら、今まで母恋に無かった長く水平に歩ける街が出現。最上階をショッピングモールとしたスカイウェィーとして設計デザインしたなら色々なビジネスも展開し発展するのでは、今現在は土地や建物にある個々人の権益があってバラバラに機能しているものを一体の物として再開発しようなんて不可能に違いないだろうが*1276784895*1266626808**
「母恋富士を甦らそう」
日本人にとって、「富士山」は特別な山であり、古来より信仰の対象とされる山でも有った。各地に少しでも形が「富士山」に似ていれば秀峰“富士”にあやかって、その在る場所の地名を冠した御当地〇〇富士が日本中いたる所に存在する。北海道では「蝦夷富士(羊蹄山)」が身近な代表格で在ろう。我が故郷、室蘭の母恋の地にも「母恋富士」と呼ばれていた御当地富士山が、かって在った。しかし現在その山は、、長年に亘っての採石のために、山が取り崩されて今では見る影も無く、現在のその山容は真に以って無残であります。「母恋富士」、その呼び名の響きは素敵だが、今はもうすっかり見る影もない.山麓が削り取られたのはもっとも早く、明治39年頃のこと昔の写真資料を見れば「母恋富士」の山麓一帯は鬱蒼とした樹木に覆われていて、今現在の禿山からは想像もつきません。過去にダイナマイトの使用による棲さましい爆発音の轟くなかで、自然への破壊作業が行われた事を思えば、それは今日の私たちが求めて止まぬ大切な緑の樹木にたいする侵略行為でもあった.責めてその半分でも今の市民に残されていたなら母恋地区に住む町の人々の暮らしはもっと潤いのあるものになっていただろうもしも過去のまだ富士山の形をしていた「母恋富士」に昔の人達が少なくない愛情を注いでいてくれたなら、今の無残な山の姿を見ないですんだろうに。真に以って残念としか言いようがない.。「母恋富士」と「富士山」二つはその雄大さと秀麗さはとても本物の富士山に比して敵う筈ないが、ちっぽけな富士山の形をしただけの山でも、それを見て育った者にとって「母恋富士」は、掛替えのない山であった。せめて.江戸時代の富士塚に習って、削られた「母恋富士」の山頂に石を積み上げてもらって元の富士山の姿に戻してもらおうか、それとも,いっそのこと途中まで削られている山頂を平らに削ってしまいその頂きに大きな円錐形のドームを建設してもらおうか。もしもそれが実現できたなら「母恋富士」は富士山の形を取り戻せるし、更にドームの中を演劇やコンサート・ホールとして多目的に利用する事が出来るようになったなら、まるで夢のようだ。 。自分はまだ少年の頃に姉が嫁いだ先の家が母恋地区の南町に在って汽車とバスを乗り継いでやっとの事で辿り着く感じでしたが、そんな思いをしてでも遊びに行くのが楽しみでした。そんな道中の視線の中に母恋富士は在った。既に砕石によって削られてはいたが、まだしっかりと富士山の形をしていて子供心にも形の良い山だと思っていました。・・・・・・・ちっぽけな富士山の形をしただけの山でも、それを見て育った者にとって「母恋富士」は、掛替えのない山であった。母恋の街の発展を願う人々にとっても母恋富士の再現は有効かもしれない但しそれは信仰の対象とするものではなく自然に近い昔の姿を取り戻せたならとの思いから出た考えであります。かって「母恋富士」の山麓一帯は鬱蒼とした樹木に覆われていたと室蘭市の歴史資料の中で伝えられている。そこで母恋の街を取り囲むように連なっている山々全てに豊かな緑の森を復活させて行く事が出来る街作りを考えてもらえたらと思います。