「東日本大震災(東北地方太平洋沖地震)」3月11日、三陸沖巨大地震発生、巨大津波が襲ったこの日を忘れない

1995年(平成7)1月17日に発生した「阪神・淡路大震災」の記憶もまだ鮮明に脳裏に残っていると言うのに、この度の「東日本大震災」3月11日この日に起きた災害の規模の大きさに言葉を失ってしまう。余りにも被害が甚大で被災された人々に何か救いの手を差し伸べなくてはと日本国民のあらゆる人達が思っている事でしょう。世界中のあらゆる国々の人達からの支援が届いている事を連日の報道によって知り、災害を受けた日本の国民は決して孤立していないんだと思い知らされる。地球の上に共に生きる人達が善意で結ばれ一つの輪になっていて温かい手が差し伸べられている事が分かり更にまた力強く勇気づけられる。*1
さて、こうした大災害を受けた現場から遠く離れ災害を受ける事も無く無事を過ごしている自分達が住む街作りの事を考えるに当たっては,日頃から災害が発生した時に、まず人命が守られる事を重点にした街作りを行う事。「我がマチ・室蘭」の街作りも「都市防災」を考えて行かなくてはならない事だろう、然し、巨大な自然災害の前には絶対に安全な都市を造る事は不可能な事にちがいない。無事を願う事は神に祈るしかないのではと思うが、一人ひとり手を取り助け合って少しでも安全な都市を目指して行かなければならないと思う。波が静かに寄せる時は、「恵みの海・癒やしの海」となり1/fの小波の音は耳に優しい、然し波は時に荒々しく打ち寄せ、岸壁に激しくぶつかる光景を見ると恐ろしくなる「怖い海」となる。其れが今回、三陸沖の地震発生と共に津波となって押し寄せる様子がテレビの報道によってまざまざと見せ付けられ、被災された人々の恐怖はさぞ凄まじい限りであったでしょう。
以下の写真は、室蘭地方が集中豪雨に襲われ災害を受けた時の記録画像日本の国は、美しい自然に囲まれ自然からの恵みを豊かに受けているが、然し、毎年何処かで台風や火山性地震などによる被害を受けて、其のたびに痛ましい人命が奪われ、折角建てた家屋、長年に亘って人々が築いたマチが天災によって破壊され失ったりするが、其のたびに復興に向け立ち上がりを見せてきた。新たにマチを復興するに当たっては、自然と調和する美しい街作りをして欲しいが、都市の主人公は歩行する人間が中心であり、其処から出発して防災を考えるとクルマではなく人間中心の街作りにならねばと思う。災害の時にすぐ近くに身を寄せる避難所シェルターを造り、直ぐに其処に安全に辿り着けるようにする為の経路を造り其れが普段に美しい街路と成るように築いて行かなければならないのではと思うのだが・・・・。 ]*2

*1:上記のイラストは「阪神・淡路大震災」大震災の後に札幌市が市民を募って「都市の防災を考える街作り会議」を開催した際の記録誌に寄稿したものを再掲

*2:旧・室蘭駅構内に過って在った鉄道の高架軌道、をイタリアのボローニアの街に多く在る列柱廊「ポルティコ」をイメージ

水辺を取り戻す室蘭都市開発プラン!!ウォーターフロントを再活用

子供たちの為に、綺麗な水辺を取り戻したい本輪西側から港と測量山の景色を見るハーバービューは、とても美しい景色だと思うが、市民は容易に近づけない、何故なら港を取り囲む岸辺を全て工業用地に指定して各企業の所有地になっている為、市民の「入浜権」は全て奪われてしまった。過っては室蘭湾の所々に市民が水辺を楽しむ海水浴場も在ったのだが、子供の頃の遠い記憶になってしまった。遠い過去の大人達は政治をもてあそび、自然を全て台無しにしてくれた。其の頃の子供が大人になった時に、やっと廻りの物事が見え意見を言える成人に達した時は既に遅し・・・自然が破壊つくされた跡を見るだけ、何とも口惜しい。これから先は未来に生きる人々の権利も考え、廻りの自然の再生と保護を計画して出来るだけ良い物を残せたならと思う。 ]本輪西の本来の地形は、アイヌ語の「ワ・ネ・ウシ」(輪に・なっている・所)から来ていて埋め立てられる前は輪の様な深い入り江になっていた。この入り江には二つの川が注いでいて一方を「コイカ・クシ・ワヌシ」(東を・通る・輪西川)港北町を流れている。もう一方を「コイポク・クシ・ワヌシ」(西を・通る・輪西川)本輪西町を流れている。本来は別々に流れていて入り江に注いでいたものが、埋め立てによって合流して本輪西川として室蘭湾に流れ出ている。現在はドブ川のようになっているこの川であるが、もう一度川を生き返らせて運河に見立て川縁に寄り添う町も新しく美しい町に生まれ変わって貰いたいと願っているが、かなわぬ夢かな・・。こんな汚れたみすぼらしい川になってしまっているが、室蘭開拓の時代、この地に足を踏み入れた角田藩の移住者「添田竜吉」「泉麟太郎」等によって「コイカクシ川」の綺麗な水を使っての製氷事業(明治11年〜37年)が行われた事がある。この氷は「輪西氷」として評判になり年産約六百㌧もの氷を関西方面に出荷していた事があるくらい綺麗な川でした。(下の写真は、まだ「室蘭ウィンズ」も無く国道37号線のバイパスの切換えが引かれていない頃の風景です。)この光景を見てしまうと、一体この町の何処に美しい町に生まれ変われる要素があるのだろうか?土地の所有もバラバラで、金持ちも居れば貧しい人も居る、まして家も持つ事も出来ない人だって居る。そんな時代の事を考えると不可能に思えてくるが力のある者も無い者も、それぞれの力を出し合って行ければ、立ちはだかる土地の法律や資金の難問も解決して行けるかもしれない

消された水辺!!懐かしや新日鉄屋外スケートリンク

その昔、この地に夏はボート遊び、冬は屋外スケートリンクとしてスケート遊びが出来る大きな”池”が在った。]「日新小学校」が此の地に在って、その傍らに、夏はボート遊び、冬はスケート遊びをした池が在った。然しその”池”は,土地を所有する新日鉄側の都合により失くされてしまった、人に依っては、このような小さな池などなくなっても何とも思わないと言う人も居るでしょうが。もし仮に”池”を遺す事が出来ていたなら市民の水辺として、公園にデザイン整備するなどして欲しかったが残念!・・・。或いは蓮の花やアヤメが咲き誇る回遊式日本庭園に・・それとも室蘭の自然復元活動で、いま話題の「ビオトープ・イタンキin」にてNPO法人として活動されている室蘭市民の皆様のようにビオトープとして遺す事が出来ていたならと思い起こすが、時代の流れ いたし方無しか?・・・そして「日新小学校」も平成22年3月を以って学校統合により無くなってしまった。此処を母校とする者ではないが一抹の寂しさを感じている・・・。上の写真の真ん中に在る建物は、夏は温水プール・冬は屋内スケートリンクとして利用出来た「ニッテツ・スポーツセンター」だが新日鉄より室蘭市に譲渡され2010年11月2日に再スタートして民間から市営の施設「室蘭市立・中島スポーツセンター」に生まれ変わっています。

”栄富士”を借景に都市計画、

”栄富士”を借景に都市計画「立体用途地域制」の導入を考えて見る。!!
画像は、たそがれ迫る夕暮れの街・・・・”栄富士”を背にして此処に在るのは「栄高校」「道南バス東町ターミナル」そして現在は企業が入れ替わってしまったが、「室蘭生協」がまだ店舗を構えていた頃の写真です。”栄富士”とは俗称で有る。本当の名前は知らないが、室蘭バイパスを通す為の「汐見トンネル」が貫通している山です。先人達はこの山に対して侮蔑の限りを行ってきた。太平洋を望む海側は早くから採石の為に、醜く削り取られ、街に顔を見せる北側も 何の配慮もされず削られてしまった。誠に残念つい最近も何かの為か西側斜面が更に醜くえぐられていた。この山はとても””ちっぽけ名も知られぬ山だが今後は、里山として大切にして欲しい!!  ”栄富士”は見方に依っては とても存在感の有る山だと思う。もし都市デザインを考えるなら借景も都市計画を進める上で考えて貰いたい。
自分が描いているブログ上で都市再開発の事を、いくら述べても実現不可能な事で、所詮 絵に描いた餅で 腹が減っても食べる事が出来ないと笑われると思うが敢えて自分の夢を語って見たい。もう既に全てが開発尽くされた感の有る室蘭の街だが色々な人達とユメを語り知恵を出し合えば新たな再開発”ニューフロンティア”が生まれるかもしれない。都市計画を進める上で色々な建築物の混在を防ぐ為に必要とされ適用されている法律に用途地域制が有るが、其の中に「立体用途地域制」あります。それは必要が有れば河川や運河の上を立体的に跨いで広場や道路が作られたり、道路の上に道路が多重に築かれたりする事が可能とされる法律だが、室蘭市は平地が少ない中、斜面や高台に住宅が張り付くように開発されスプロールしていった。市域の平らな大部分の土地を大企業の工場や他の施設の為の社有地として先に取られてしまっているので市民の意見を求めて開発しようが無いのかも知れないが「立体用途地域制」の導入で都市再開発のデザインが柔軟に取り入れられるようにして見てはどうだろう。「JR室蘭線」も、その昔に在ったと言うイタンキの海側に高架鉄道として移設が可能ならとしてのユメが有る。”栄富士”を背にする借景を活かせる場所に新線「JR室蘭駅」をデザインしてみる。「道南バスターミナル」と一体化して此処を「交通センター」として再開発してみてはいかがだろうか。「室蘭」の地名は崎守町にあった場所の地名でアイヌ語の「モルエラン」「モルエラニ」其の意味”緩やかに坂を下った所”が語原とされているが、駅のデザインもその意味を考慮して車と出遭わなくて住むように歩行者専用道路を立体的にデザイン、(エジプトの古代遺跡ハトシェプスト女王の葬祭殿をモチーフにして)鉄道の移設となると新たな土地の確保が必要とされ、まして住宅や色々な企業の会社施設が張り付いている地域にとても無理な問題に思えるが、もし鉄道を移設させる事が出来たら室蘭市の中心に開発可能な新たに沢山の土地が生み出される事になる。鉄道移設で住宅や土地を奪われる感のある人々の権利が守られるようにして更に条件良い場所、新しく生み出される都心JRの跡地へ、土地交換を行う事が出来たら良いと思うが、これは国の賛同許可も必要とされ到底無理な事だろうけど・・・。其の昔、室蘭線に新幹線導入が叫ばれ「札幌」〜「室蘭」太平洋側ルートが提案されていたが、いまはすっかり鳴りを潜めたかな

都市の日常に潜む危険!?わが町・ムロランの「安全都市考察」

都市の日常に潜む危険!?わが町・ムロランの「安全都市考察」span>見るからに危険が迫っている様な国道37号線沿いの崖地、此処はカーブする本輪西の町の両極付近で写真右側は「高平町」左側は本輪西駅近く栗林KK入り口・JR踏み切りの向かい側辺り。冬の間にも降雨・降雪の影響を受けて斜面崩壊の危険が忍び寄る。為政者は常に市民、或いは国民を安心・安全の地へ導かねば成らないだろう。従って道路管理者は常日頃から斜面崩壊の現場を察知して斜面安定解析を行っていると思うが、近隣に住む人々・市民みずからも油断せず危険を感じたら道路管理者と協力しあって事に当たる必要があるのではと思います。・・・(斜面崩壊の危険が迫った傾斜地の土木工事現場写真・左側「高平町」右側「宮の森町」北海道立室蘭工業高校・裏手の楽山斜面)政治家を目指す者は「政党力学」或いは「派閥力学」に長じている必要が有り、道路管理者を志す者は「土質力学」に長じていなければならない。「土質力学」は「土木工学」の一分野で他に「構造地質学」も有ります。こうした分野を学ぶに当たって実に室蘭には様々なタイプの崖地が存在していて興味が尽きないかも。或いはロッククライマーなどスポーツアドベンチャーとしてチャレンジしてみたい崖がある。でも悲しいかな中年!!我が町むろらん、未来に向かっていつまでも自然が豊かに広がる街作りが出来たならと思います。

地球岬の初日の出を観に行きたし

2011年1月元旦の初日の出を観る為に、地球岬灯台に今年も沢山の人が訪れ御来光を迎えたようである。今年は雲に覆われて初日が見られないと諦めかけていた時に、雲間から太陽が顔を出してくれて美しい景色を堪能したらしい。
地球岬灯台灯高131m(平均海面〜灯火)光達(25海里×1852m)初点灯(1920年)
地球岬は観光地としての人気投票で以下の三つの選抜に”第一位”に輝く賞を戴いている
*「北海道自然100選」1985年(昭60)朝日新聞主催、
*「あなたが選ぶ北海道景勝地」1986年(61年)北海道郵政局主催、
*「新日本観光地100選・ヤングカップル部門」1987年(昭62)読売新聞主催

「一年の計は元旦にありとは良く言われるが」、自分としても何を思うべきか?まだ未定、、、。「門松は、冥土の旅の一里塚、めでたくも有り、めでたくも無し」。とは一休宗純が『狂雲集』の中に遺した言葉だが、人それぞれに寿命がありやがて死をむかえるが、正月に一つ年をとる毎に自分の死に近づいて寿命が縮まり目出度くもあり、めでたくも無しかな。一休さんは他に「世の中は起きて稼いで寝て食って後は死ぬを待つばかりなり」正月早々、”死”を語るなんて縁起でもないが一頃「地球岬灯台」は自殺の名所としても知られていて、投身自殺をする人が跡を立たず、其の度に道警の救助のヘリコプターが地球岬に飛んで来ていた。地球岬にはそんな暗い寂しい出来事があったが、然しこの頃は地球岬公園として整備されたことで明るい陽の印象が加わり、観光地としての人気も高まり人が沢山訪れる様になった。そのせいか、わざわざ此処に来て自分の命を捨てる人はいなくなったようだ。どんなに辛い苦しい事があっても絶対生き続けて下さいと私は言いたい。命は掛け替えの無い大切なものだから。かって自分にもゆかりが在る人が、苦しい窮地に立たされ自らの命を絶ってしまった。想うに、遺族や友人など一番近しい間柄の者であればその悲しみや辛さは例えようが無い。我が日本では、自殺する人が年々増えていることが報じられているが悲しいことですね。更に家族との結びつきが無くなり孤独死する人が増えてきている現状もあり、こうした人達が無縁仏となっての個(孤)葬の形が増えてきているらしい、こんな暗いニュースは払拭して、いずれにしても地球岬が幸せの訪れる恋人岬と愛称が付けられるくらいハッピーな場所になって欲しいですね・・・!!

「室蘭高原だんパラ・スキー場」からメリーX’Mas & A Happy New イャー!!

*「室蘭岳山麓総合公園」にて昔を想う!!span> 自分がまだ小学生・中学生の時に学校行事の遠足では良く訪れた場所が「室蘭岳」でした。その頃は、麓からやっとの思い出歩き通し頂上まで辿り着いた思い出があるが、今では、アッサリと軽々車で人が来る場所になった、その分だけ自然が危うくされている事が心配だ。写真は上から「室蘭高原だんパラスキー場のロッジ」後方に室蘭岳を望む、下が「室蘭八景マスイチ浜の冬景色」、室蘭は冬だって見どころイッパイの街だと思う。住んでいる、すぐ近くに海在り、山在りで、わざわざ遠くに出かけなくても良い。いつまでも大切にしたい海・山ですね!!何より望みたいのは、せっかくの美しい風景に見合って街が美しく、市民の力で築き上げる事が出来たならと、勝手に「夢」を描いています。その昔、アイヌの人達は「室蘭岳」をカムイ・ヌプリ(神の山)として大切に敬っていた。雪解けの時期にこの山に浮き出る雪紋を観察して漁期の目安としていた。それは「ヘロキ・ウパシ」”ヘロキ”とはアイヌ語で鯡のこと、”ウパシ”とは雪のことを意味していたが、山肌のどの部分に「ヘロキ・ウパシ」を見つけていたのかは、私には解らない。だがアイヌの人達と同じく後世に生きる私達も海・山の自然を大切に思い開発のあり方を考えていきたい。

クリスマスおめでとう、2011年 新年明けましてオメデトウ
わがまち室蘭が良き発展の都市(年)となりますように。何よりも市民一人一人それぞれの『夢』が叶う街になりますように。