イタンキ浜周辺を綺麗に整備して平和記念公園を!!

イタンキ浜に平和記念公園を!!
イタンキ浜のアイヌの”鯨伝説”に思いを馳せ、、、、その昔、イタンキ浜沖には沢山の鯨がおしよせていた。この地のアイヌの人達は鯨を獲って来る日も来る日も豊かに暮らしていました。
鯨(フンペ)祭りが盛んに行われていた場所としての言い伝えもあって、この地はとても豊かで美しい自然に恵まれた所でした。イタンキ岬の事は他に、鯨半島とも呼ばれている。また別な言い伝えが・・・或る年、パッタリと鯨が来なくなりこの地に飢饉が押し寄せ沢山のアイヌの人達の食料が底を付いてしまった。やがて冬が近ずき飢えと寒さが彼らを襲った。このイタンキ浜に辿り着いたとき岸辺から少し離れたところに死んだ鯨を見つけ彼らアイヌの人たちは、あの鯨が岸に打ち寄せられれば、やっとのこと皆で鯨が食べられると思った。しかしいくら待っても鯨は岸に打ち寄せられる事は無かった。くるひも来る日もひもじい思いをしながらアイヌの人たちが待っていたのは死んだ鯨ではなく波間に見え隠れする大きな岩だった。仕方なく暖をとる為に最後まで持っていた、お椀(イタンキ)までも燃やしてしまった。その大きな岩は今もイタンキ浜海岸で見ることができ、鯨岩と呼ばれている。そしてその時に燃やした、お椀(イタンキ)がこの地の地名になったとされている。しかも更なる悲劇が歴史の事実として顕になった。それは室蘭の国道のバイパス工事の際にイタンキ浜の海沿いから沢山の中国人の遺体が発見された事でした、第二次世界大戦の時、沢山の中国人や朝鮮人を強制連行して命を奪ってしまい遺体を何の弔いもなく埋めた場所でもありました。近くの小高い場所、ちょうど汐見トンネルの上に中国人受難烈士の墓と言った記念の碑が在りますが、もっと慰霊のこもった施設としてゴミ焼却場や屎尿処理施設のありようを考えて周辺を綺麗に整備デザインして平和記念公園として甦らせて貰いたい悲劇の海辺から世界の平和を祈念して

 「ウトナンカルシ!?」互いに出逢うところ
そんな悲しい伝説の地に、隣り合わせる間近な場所に(ウトナンカルシ)“互いに出会う所”と言う意味の素敵な地名の場所がある。そこは現在使われていないようだがゴミ焼却施設がある所である。「ウ・トナンカルシ」の語源の意味についての説は色々あるが、鯨祭りが行われていた遥か昔のこと東側のコタンの人達と西側のコタンの人達が(いつも、そこで出迎い会う場所)で有ったことに由来する言う説とは別に、「永田地名解」による「ウ・トナンカルシ」の説は、昔、男神と女神とが裸で 此処に出逢い夫婦とナリタル処として伝えている。東の村の若者と西の村の娘が愛し合い、人目を忍んで互いに出会える場所であったとも思われる。この場所は汐が退いている時にだけ東の方からも西の方からも各々の場所から歩いて渡る事が出来た。もしかしたら其処は秘密の場所で有ったかも知れないそこに隠れた小さな入り江が有ります。「ウ・トナンカルシ」互いに出逢う場所。そんなロマンチックな地名の場所なのにゴミ焼却施設或いは屎尿処理場などがあり、折角の美しい景色も台無しであります。都市生活を考えるとどうしても必要な施設で有りますが、何とか配慮して貰いたいもしゴミ焼却施設のある場所にオシャレな展望レストランが在ったとしたら想像して見よう、この地で採れるグルメな山海の食材を使った料理を愉しみ ながら同時に美しい景色を眺め,至福の時を過ごせるかもしれない。