街づくり貴方はドッチ、「道路・橋梁は、本なり,!!家屋・下水は末なり!!!」

[[「道路・橋梁は、本なり,!家屋・下水は末なり」]]この言葉は東京都の二代目の知事「芳川顕正」が云った言葉として紹介され、色々な処で街づくりの話の引き合いに出てくるが。本来、街づくりで重視しなければならないのは生活を優先に考えて”家屋・下水”の拡充と質の向上が先ではないかと思えるが、我が日本人は常に”道路・橋梁”を先に考えて来たのではと思われる、しかも其れが政治の駆け引きの道具にされて。従っていつまで経っても都市の住宅事情は貧相で美しさに欠け外国からウサギ小屋と揶揄された時もあった。此れからは「家屋・下水が本なり!!道路・橋梁は末なり!!」にして貰いたい。其の道路が都市再開発をする上で大いに利用するに値し、物事を進展させるのに合理的に考えられるかも知れない。何故なら・・・・・「道路」は何れの町・いずれの都市にも付随して在るが所有形態は大抵「国」や「道・県」又は「市」など行政側にあり、利用形態は共通していて「道路」は市民のモノ・皆の物的な共有している感覚でイチイチ誰かに許可を得る事もなく日常的に使われている場である。云わば共有の財産とも言える。都市を再開発する上で必要な住民と行政との合意形成が得やすい、更に必要なのは纏まった土地だが、然し何時までも自然の野や山を切り開いて破壊行為をする分けには行かない、其の点「道路」は直ぐに手に入る更地であり都市再開発のため利用を転換させて住民と行政とが話し合い、計画的に新しく住みやすい美しい町を築く事が出来る。「道路」は都市の再開発可能な土地と言える。隣接する旧市街地の住民が地上げによって居住権を奪われる事無く自分達の意思によって土地交換、居住権移転などを完了させて後、更に旧市街地を再開発整備して次の街区へと順次新しく都市を再生していく事が出来たらいいが、そんな簡単にトントン拍子に物事が上手く行く訳がないと誰もが思うだろう・・・。
だが現実に今「道路の」利用目的を転換させる話が進んでいた。それは「丸井DP」の跡地が「ヤマダ電機」に買い取られる事が決まったようだが、その時の条件として「丸井DP」跡地の間に挟まっている「市道」の廃止とその「道路用地」の払い下げを「ヤマダ電機」に要望されていて「市道」を含めて「丸井DP」跡地が一体のモノにする再開発計画が立てられている事だ。「市道」の廃止と「用途変更」は市議会で既に6月28日に承認されているそうだがこの意味を考えてみる。『今後、「道路用地」は周辺住民の利益を考えて「都市再開発」の為とする要望があれば「道路用地」の「用途変更」が出来ると言う事だろう』

更に昔に遡って見ると、*「輪西」の町の境界が現在の*「新日鉄工場」の敷地の中側に在った時があり町の一部が工場に挟まれサンドイッチの状態になっていた。当時の住民と工場を所有する会社側とが話し合われて境界が現在の「輪西町」と「新日鉄工場」との位置関係になった経緯がある。其の事からすると再び新日鉄工場側と町の人々が将来の街をどう築くかを話し合っても良いのでは、昔は「鉄の街」と呼ばれていた「輪西」の町の再生が渇望されていると思う。

中合わせに存在するイタンキ浜の断崖の美を街作りに取り込もう!!輪西町」「御幸町」と背中合わせに存在する断崖の美を街作りに取り込もう!!あの有名な建築家ガウディーはスペインに在るモンセラート修道院の背後に在る断崖の美に魅せられて彼自身の建築デザインに活かされたと伝えられている。もしも輪西の町を再開発する事が出来たなら「御幸町」「大沢町」を”御幸の森”大沢の森”に変えて背中合わせに在る、イタンキの海岸の断崖の美を街作りのデザインに活かして見たいと勝手に想像を巡らしている。(モンセラートの画像は「ウィキペディア」の”モンセラート”の項より参照されたし)
室蘭市に現在遺されている自然景観の保護と、更に過去の無秩序な都市化「スプロール」によって失われた室蘭市の自然の、復元を考えていく。豊かな自然環境の中で自然との共生を培うアメニティーの大切さを考える。