地球岬の初日の出を観に行きたし

2011年1月元旦の初日の出を観る為に、地球岬灯台に今年も沢山の人が訪れ御来光を迎えたようである。今年は雲に覆われて初日が見られないと諦めかけていた時に、雲間から太陽が顔を出してくれて美しい景色を堪能したらしい。
地球岬灯台灯高131m(平均海面〜灯火)光達(25海里×1852m)初点灯(1920年)
地球岬は観光地としての人気投票で以下の三つの選抜に”第一位”に輝く賞を戴いている
*「北海道自然100選」1985年(昭60)朝日新聞主催、
*「あなたが選ぶ北海道景勝地」1986年(61年)北海道郵政局主催、
*「新日本観光地100選・ヤングカップル部門」1987年(昭62)読売新聞主催

「一年の計は元旦にありとは良く言われるが」、自分としても何を思うべきか?まだ未定、、、。「門松は、冥土の旅の一里塚、めでたくも有り、めでたくも無し」。とは一休宗純が『狂雲集』の中に遺した言葉だが、人それぞれに寿命がありやがて死をむかえるが、正月に一つ年をとる毎に自分の死に近づいて寿命が縮まり目出度くもあり、めでたくも無しかな。一休さんは他に「世の中は起きて稼いで寝て食って後は死ぬを待つばかりなり」正月早々、”死”を語るなんて縁起でもないが一頃「地球岬灯台」は自殺の名所としても知られていて、投身自殺をする人が跡を立たず、其の度に道警の救助のヘリコプターが地球岬に飛んで来ていた。地球岬にはそんな暗い寂しい出来事があったが、然しこの頃は地球岬公園として整備されたことで明るい陽の印象が加わり、観光地としての人気も高まり人が沢山訪れる様になった。そのせいか、わざわざ此処に来て自分の命を捨てる人はいなくなったようだ。どんなに辛い苦しい事があっても絶対生き続けて下さいと私は言いたい。命は掛け替えの無い大切なものだから。かって自分にもゆかりが在る人が、苦しい窮地に立たされ自らの命を絶ってしまった。想うに、遺族や友人など一番近しい間柄の者であればその悲しみや辛さは例えようが無い。我が日本では、自殺する人が年々増えていることが報じられているが悲しいことですね。更に家族との結びつきが無くなり孤独死する人が増えてきている現状もあり、こうした人達が無縁仏となっての個(孤)葬の形が増えてきているらしい、こんな暗いニュースは払拭して、いずれにしても地球岬が幸せの訪れる恋人岬と愛称が付けられるくらいハッピーな場所になって欲しいですね・・・!!