室蘭の各町々の禿山に森は、いつ造られるのか・・・?我が禿げ頭で”禿山”を愁うなり!!

“新しい 町の中の 古い樹木”(old tress in new town)とはイギリスのニュータウンのキャッチフレーズである。1898年ハワードが田園都市協会と言う会社を起こし1899年に田園都市構想の理論を本に著わしている。イギリスでは今も田園都市の理想が受け継がれ新しい町造りだからと言って何十年何百年と生きてきた樹木を簡単に切り取ってしまわない、出来るだけ古い樹木を保存する。”ニュウタウンは十年で造られるが、樹木は百年かかる”こうしたイギリスのコミュニテイ作りの根本理念に習って室蘭市の街作りにも活かせたならと思います。(下段の木の写真は数少ない室蘭市の保存樹「キハダ」です。)

(キハダの木は笠松さんから森川氏に引き継がれ遺されていたが、保存樹としての命を終えました。その後には・・・?]室蘭市に保存樹木として指定されていた木が宮の森町に在ったのだが、現在も其の木が残されているか室蘭市の都市計画課公園係に尋ねて見た処””『「キハダの木」のすぐ横を流れる知利別川の改修工事に伴い、支障となることから移植を計画しましたが、枯損が進行し、移植には耐えられないと言う樹木医の診断もあって、やむなく、平成21年3月18日に伐採されました。その後、伐採を惜しむ市民の声を受け、室蘭市在住の彫刻家高橋昭五郎氏の創作により、「キハダ」は「変奏」という名の彫刻として命を吹き返し、平成21年7月22日に室蘭市へ寄贈されました。”』と言うお知らせをいただきました。古い樹木を、たくさん沢山、のちの人々に遺して行きたいが、室蘭には余りにも樹木が無い。周囲の小高い山々を目にしても見えるのは禿山ばかり、室蘭には木が育たない土地柄なのか考えてしまう事があったが、戦時中に敵襲による山火事を防ぐ為だとして、悉く伐採されてしまったと言うのが歴史の事実、ただ茶津山だけは天皇が室蘭に来た時に御宿所としての瑞泉閣がある為一ッ本も伐らずに遺されたと言う話だが、だとすると室蘭の山々が全て天皇領で有ったなら自然は守られていたのかも知れない・・・?
宮の森町に”宮の「森」”と言う森は無いが、「ライオンズの森」が造られようとしたコトが有りました。だが然し、夢は敢え無く消えてしまった。其処は中島神社の蓬莱殿と言う結婚式などを行うセレモニーの場と変わってしまった。”ライオンズ”の森が他に移設して有るかは定かではない・・?私は、宮の森の高台一帯を中島公園に連ねて、大きな緑地公園にして貰えたならと思うのだが、ニュヨーカーがセントラルパークを残すに当って大変な決意と努力があったように室蘭市のセントラルパークになるように出来たならと思います。叶わぬ夢だが!!
これは木を大きく育てるために加えられた間伐の木ではない、宅地開発の為にアッサリと伐採された木である。我が母校「蘭東中学校の」校門の前にも大きなポプラの木が見事な立ち姿で在ったのだが、其れもアッサリと伐られたのにはガッカリした。信に残念であります。
追記、 悲しい事に、また沢山の木々が切り倒されてしまった。同じ宮の森の高台に在った「中島小学校」が統廃合の為廃校となり新しい学校を作る為に、卒業生達が植えて大きく育っていた木も計画設計の拙さからか何の考慮も払われずにアッサリとバッサリ切り倒されてしまった。この事件は2008年7月に起きてしまっていた。以下は木を残そうとした人達の嘆願書の文面です。
企画者: むろらんの緑を残す会
提出先: 室蘭市長、室蘭市教育委員会、北海道知事、環境大臣文部科学大臣
開始日: 2008年07月04日
環境サミット開催支庁所在地である北海道室蘭市では、統合新設・旭ヶ丘小学校建設のために、旧・中島小学校の周囲にある樹木600本余りを伐採する計画が現在進行中です。樹木の伐採は、そこにある自然生態系の喪失も意味します。地球規模の自然保護や温暖化防止が叫ばれる今、子どもたちの教育の場である小学校でのこの伐採計画はまことに時代に逆行していると考えます。現在ある多くの樹木・緑によって成り立つ生態系とのふれあいを通して、次代を担う子どもたちが学校で心豊かな生活を送れるよう、現在の伐採計画を中止し、自然生態系確保のための樹木の保存を最大限に配慮する代替案の検討・実現に向かうよう強く望みます。
「むろらんの緑を残す会」のブログ、「学校と樹木」URLは<http://kinococoro.blogspot.com/