*「室蘭市中心都市宣言」に思う

・・・昨年2009年12月15日に西胆振圏域の中心市として室蘭市は:「中心都市宣言」をしているが、果たして室蘭市に”中心都市”としての威厳と風格が備わっているのだろうか。近隣に住む人達にも其の事が伝わって支持されているのだろうか?・・・・本当に西胆振圏域の近隣市町村と手を取り合い共に発展を願うなら室蘭市のセツルメントの有り方から見直していかなければ成らないと思う。・・・市の中心業務地区を誰もがアクセスし易い場所に据えるべきでは、近隣市町村からも「出向いて来るのに”た易く、離れて行くにも”た易く」つまりは「離合集散」が円滑に行える場所に室蘭市の中心業務地区=C・B・D(Central Business District)を再開発するべきではないだろうか。「室蘭」にはメインストリートと呼べる中心的街路もなく、市役所庁舎の前にはコミュニティとしての中央広場もない・・町名で「中央町」はあるが中心都市としての賑わいは遠ざかってしまった感がある。これまで都市の中心機能が蘭西に集中させてきた為に、そこに行き着くための道路整備に沢山の経済力を注がれて自然破壊も行われてきたが、街の経済の落ち込みは激しく店仕舞いのシャッター・ストリートタウンが出来上ってしまった名ばかりの「中央通り」。いま経済が落ち込んでいるから、まだまだ蘭西にお気兼ねして肩入れしなければならないだろうか?回転軸が中心を外れた独楽は旨く回転しない、中心を据えなおす事によって勢い良く回転して室蘭の各町々・都市全体が良くなるのでは・・・老舗の発展と共にやがて新装開店で町が活気付き再び殷賑の都市に甦る事が出来る。街の中心に沢山の人が集い市民に憩いの場所を提供する事が出来る場所は、他ならぬ街を分断している鉄道の所が最適だと思う。・・・  そこに緑豊かに連なる線状の都市公園(リニアパーク)を築く。街の中に公園が在るのではなく、公園の中に町が在る様な街作り。・それに相応しい打って付けの場所は蘭東地区の鉄道が走っている所が当てはまるのではないだろうか。登別市室蘭市は隣合っている都市だが、街の境界は何処に在るかは見分けが付かないくらい互いの町はピッタリくっついてしまった。此処に室蘭市の中枢機能を持って来て都市の中心軸を決める・・・
それが一番最適に思える事でも、問題が沢山あって、それを乗り切るには市民、一人一人が知恵と力を合わせて解決しなければ成らない。*「神は農村を創り、人間は都市を造る。」この言葉は西欧の諺として紹介され、都市開発とか都市問題を扱う文献によく引用されて出てくる。 この言葉は” God made the country, and man made the town”ウイリアム・クーパー( William Cowper)という人 の有名なことばであります。さて、人間が造るとされる都市について、如何に築いて行くのかを真剣に考えてみよう。因みに、誰もが憧れを抱く美観都市「パリ」には個人住宅は一軒も無いと言われている。・・・・神によって与えられた、北の大地を活かす為に、今こそ室蘭市民は一人ヒトリの人間として如何なる都市を築くのか?考えてみる時かも!!
さて一口に西胆振圏域の中心都市として「室蘭」が名乗りを上げたとしても、実際にその発展の姿は宣言文からはイメージ出来ないのと、連携を結ぶ圏域の都市の空間の概念はどのように展開させる事が出来るのだろうか?  ギリシャの建築家、及び都市計画化の「ドクシャディス」によるコミュニテイの捉え方は人間の定住空間のセツルメントを個人の最小の空間「部屋」に始まりを置いて「部屋」⇒「家屋」⇒「一棟の家屋または小さなビル」(Plot)⇒「数軒の家屋を含むブロック、または大きなビル」(Block)⇒「近隣住区」(Neighbourhood)⇒「コミュニティ」(Community)⇒「小さな町」⇒「中都市」⇒「大都市」(Large city)⇒「メトロポリス」(Metropolis)⇒「大きなメトロポリス」⇒「メガロポリス」(Megalopolis=巨帯都市)⇒「リージョン=地方」(Region)⇒「大きなリージョン」⇒「エキュメノポリス」(Ecumenopolis=世界都市)⇒[・・だが今日の個人の最小の部屋の始まりはBOX、つまりダンボール箱が最初のスタートとも言える。都市コミュニティーを考える時、貧困者を生み出していたら意味が無い。全ての人に住むべき部屋が約束されていなければならないのでは未来に向かっては「失業とホームレスは死語にしたい。」ー参考ー「人間にとって都市とは何か」磯村英一 著、NHKブックスより

メモ・室蘭市中心市宣言書PDF<http://www.city.muroran.lg.jp/main/org2200/documents/sengen.pdf